交流の広場
人生での“出会い”(手記)
ここでは志望する大学に合格できた元会員のお父さま方に、現在ではすでに第一線を退いてというお父さまもいらしゃることと思いますが、長年県内各地域でご活躍されたご自身の人生を振り返っていただき、ご自分の人生にとって大きな転機となった『出会い』について語っていただけたらと思い、このページを作りました。今まで心の中に・・・また、ご子息ご息女のSKCとの出会いについても「一言」感想をお聞かせいただけたら幸いです。年代の古い順に1人2人・・・お声掛けさせていただこうと考えています。
作詞家阿木燿子さんの「愛唱歌」の一節を紹介します。
過ぎた月日は まるで走馬灯
駆け抜けた季節が蘇る
あまりに忙しすぎて辛くなったことも
でも歌に伝えたい ありがとう
見守ってくれて
すべて出会いなのね
歌も同じことね
・・・
(人生は)すべて出会い・・・
そうです!とてもよい歌詞です。
SKC元会員は大学を卒業後どんな出会いをしているのでしょう・・・
まず5月末日、長野市に出向き事務所の開設当初の会員宅を訪問させていただきました。トップは東大に現役合格の武井さん宅です。30年も前のことなので会員登録書の住所で検索して到着しました。ご自宅の前まで来て思い出しました。懐かしい・・・車庫の前に車を止めてドアベルを押すとお母さまが出ていらっしゃいました。橋本です、ご無沙汰をして・・・一瞬間をおいて「あー」サプライズです。お久しぶりです。お元気そうで!お父さまは?5年前になりますが・・・。他界されていました。60代になり心臓に疾患が見つかり・・・それでもお父さま、整形外科医で当時はまだ現役で多くの患者さんを抱えていらっしゃったので、治療を受けながらも診療は継続、そして2021年コロナがピーク時76才で・・・お若い、今では80を超えて診療されているドクターもいらっしゃいます。とても残念です。「本人は痛みもなく苦しまなかった」お母さまのお言葉で、多少救われた思いです。お母さまは麻酔科の医師で75まで非常勤でお仕事されていたそうです。ご子息の大輔君、ご案内「夢を追って」で紹介しました。医学部受験の最難関大への挑戦でも・・・東大と京大ダブル合格、その原動力となったのがネイティブに近いレベルの「英語力」それはお父さまの経歴に関係していたのです。
大輔君が小学生のころ数年間、家族で渡米されて「スポーツ医学」を勉強されたのです。大輔君はいわゆる「帰国子女」なのです。帰国後も私が指導を始める直前まで毎週ネイティブの先生に来てもらって英語での対話をしていました。お父さまは帰国後、その経験を認められてサッカーの全日本代表選手のチームドクターに召集され大会期間中、また遠征にも同行され選手からは頼りにされていたようです。私が指導で通っていた当時、ブラジル出身のラモス選手が定期的に長野のご自宅に通い「治療」をされていました。県内でも多くの患者さんの治療でお忙しい日々を送られ体を酷使されたのではと想像します。多くの患者さんを助けられたと思います。ゆっくりとお休みください。長い間、本当にご苦労さまでした。ご冥福をお祈りいたします。
そして次は・・(日曜午後に訪問予定です)
そして今は
<先輩からのメッセージ>で川上君の次に紹介しました北村君ですが、実は2002年の12月31日夜に東京の事務所でファクスを受信、発信者は北村祐司、長野高出身で富山医科大学(当時)を卒業して千葉大学病院で勤務しているという内容です。ここで原文のまま紹介します。
橋本先生、お久しぶりです。SKCでお世話になった北村です。先生、お元気ですか?ご報告が遅くなりましたが、富山での大学生活を終え、この春無事、国家試験にも合格しました。現在、千葉大病院で麻酔科医として働いています。お礼も含めて、先生とお話しできたらと思いますが、このファクス番号しかわからなかったので、もしよろしければ連絡お待ちしています。
以上簡単な通信内容でしたがとてもうれしく思いました。携帯の番号とメールアドレスが書いてありましたので早速メールした記憶があります。詳細は記憶していませんが「千葉大に来たのも先生からあの時背中を押してもらったことで今ここに・・・」といった内容の返信があったように記憶しています。思い切って千葉大に挑戦してみようか!ということで、現役時には千葉大に挑戦したのです。高2の秋の入会で校内で50番くらいの印象が残っています。一次試験の結果では信州大は無理、それで二次配点の高い千葉大に挑戦してみようということに・・・1年後の一次試験の結果は信州大学合格のラインを超えていたのですが、本人の強い希望で再度千葉大に挑戦したのですが不合格、後期試験は安全な大学ということで「富山」にしました。ご両親は地元の信州大学にしてほしいというご意向のようでしたが・・・そのチャレンジ精神が強く印象に残っていましたので令和元年10月に過去の医学部合格者を「特集」した会員ニュースの中で紹介したのです。
そして時代が平成から令和へ・・・令和2年春5月でした。
大変ご無沙汰しております。1995年長野高校卒、1浪して富山の医学部に入った北村祐司です。なんとなく昔の整理をしていたら医者になって1年目に先生とほんの少しやり取りをしたメールを見つけました。当時は連絡が続かず失礼いたしました。当時のアドレスには送信できませんでしたので、郵送することにしました。
SKCのホームページを見つけました。昨年の会員ニュースで私のことを思い出してくださっていたことを知りました。当時、先生のご指導を受けていたSKC同士の中では劣等感を感じたものですが、自分のことを覚えてくださっていたことをとても光栄に思い、ご連絡せずにはいられなくなりました。ありがとうございます。
弁護士となったSKC同期の新保君とは今も繫がっています。私は2002年に医学部卒業後、因縁の(笑)千葉大学・・・2010年から2年間を静岡県立こども病院、2013年から2年間はカナダのモントリオール小児病院で仕事をしてきました。帰国後は千葉大学に戻り現在に至っております。橋本先生、北村は医学部に進んでからの自分の人生を、いまも悔いなく歩んでおります。好きでやりがいのあることを、自分の仕事にできていることに幸せを感じます。医学部に導いてくださり・・・