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令和5年・第1号(4/18)

令和5年、北陸の地に『新規事務所開設』

SKC長野事務所は平成の30年間長野県で活動してきました。当初は平日は東京での指導があり週末に長野県に出向き指導を行っていましたが順調に会員が増え2年目には長野県での活動が中心になりました。当初は高校生主体の指導でしたが徐々に中学での入会の会員も増加して中高一貫の指導ができるようになりました。その中高一貫指導の理想の形を平成23年、中2の春入会の松本市のYさんが実現してくれました。中1での成績は平均点よりは上でしたが「ふつうの子」です。与えられた課題をコツコツと努力し高校入学までの2年間でしっかり「貯金」を作り、高校入試は受験者の平均点くらいで通過、高校生になってその貯金(国語と英語)を生かして成績は高1では少しずつ、高2になって一気に上昇し11月実施の第2回進研模試で3教科総合学年トップ(松本深志高)になり、高3では余裕で医学部現役合格達成でした。Yさんとは2016年(平成28年)信州大学医学部現役合格の湯澤日南子さんです。そして平成31年、令和の時代になり新たに「関西地域」に進出を考え令和2年の春開設の予定で準備を進めていましたが年が明け「コロナ」に出会うことになり中止することになりました。以来3年、長野県での活動も新規の会員募集を控えることになり会員数も減少し活力に乏しい3年間を過ごしました。その間ホームページ経由で入会の松本市のAさん、長野市のI君が一つ一つ課題をクリアして順調に伸びてきました。Aさんは4月から松本深志高での高校生活が始まりI君は長野市の地域の中学3年生になり1年後は長野高校入学の予定です。

さてコロナが始まる前年の令和元年、新たな時代の始まりに合わせてSKCでも次の10年を新たな地域での活動にチャレンジする計画を立てました。平成の30年、信州の地で小さい塾ながらも「難関大学受験専門指導」を看板にし、高校生会員の募集は指定校制にして志望大学の目標は東大か京大または国立医学部この3つのコースを第1目標に指導をしてきました。そして30年間で浪人生まで含めるとこの3つのコースで34名が目標を達成しました。指導定員が中高6学年で最大18名、実際は15名程度が現実的な指導人数での合格実績です。県内進学校の先生たちからも教科書を中心に学校で配布の教材を最大限活用してくれる塾として一定の評価を頂くようになりました。しかし平成の30年間は「苦節30年」という言葉が当てはまるくらい信州・長野県での指導は多くの課題との戦いでとても苦しいものでした。一番の問題は内陸県で「地元志向」が強く中学生は高校入学までは各地域のトップ校合格の目標意識が強く、中学生で東大京大を意識している生徒はごく一部の生徒に限られSKCの指導に該当する人数がとても少ないことです。そして当然のことですが高校でトップレベルの優秀な生徒は自信があるので入会しません。一方現在の成績では目標達成はとても難しいが「何とかならないものか」といった上昇志向の強い生徒もいますので指導はそのレベルの生徒が中心でした。高校での入会なので時間的にとても厳しい指導になりますが驚異的な頑張りを見せてくれた会員(東大挑戦のT君)もいました。また医学部志望の生徒も地元を最優先に考えます。信州大学医学部が地元長野県の高校生に出身高校からの推薦者に対して「県内枠25名」の優遇制度を設けていますので、県内の医学部志望者の多くはその枠狙いで校内推薦を第1に考えるのです。そして推薦獲得のために定期試験中心の暗記学習になり、その結果大学入試センター試験(現大学入学共通テスト)での9割得点がとても難しくなります。学校推薦を獲得できれば県内枠(競争率は3倍程度)の合格ラインはセンター試験83~85%くらいなので楽なのですが推薦を獲得できなければ1次試験で9割得点が必要な他県の国立医学部合格は極めて困難なのです。

令和5年、長野県の東大と京大の現役合格者を確認してみます。東大11名、京大13名でした。難関大学受験のシンボルである東大合格者、北陸三県と比較してみると令和5年富山県の東大現役合格者は29名、石川県24名、福井県は16名です。北陸三県と比較しても大きく差が開いています。今年も一桁にならなくてよかった、、、長野県でも平成になり中高一貫校ができました。佐久長聖中学、松本秀峰中等教育学校ができました。両校とも東大京大国立医学部を意識したカリキュラムで東大京大また国立医学部にも合格者を出していますが、毎年コンスタントにということにはなっていません。大変な努力を生徒に求めるのですがなかなか難しいようです。これが長野県の現状でこの私立の中高一貫校2校と同様にSKCでは苦難の30年を経験したのです。一私塾の奮闘くらいでは県民の意識は変えようもなく、SKCでは令和になり新たに活動の地域を広げるということで関西圏進出を考えましたが、この計画は中止、そして再考し改めて令和5年春、コロナの影響も少し弱まったのではという判断で関西圏ではなく隣接の北陸地域に活動の拠点を1か所作ることにしたのです。詳細は第2号ニュースで公表します。